ドイツ移住までの歩き方

人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。

日本がいかに平和かということを実感した日

みなさん、おはこんにちは。

相変わらずライプツィヒは、過ごしやすい日が続いているというか、

もはや日中は暑いくらいだ。

ところで、昨日は日本人として忘れることのできない「3.11」が起こった日だ。

以前の「能登半島沖地震」のことを投稿したときにも書いたが、

こちらに来て、日本を思う気持ちは、日本にいるとき以上にとても近くに

感じるようになった。だからこそ、能登半島地震でも大変心を痛めたし、

心が苦しくて仕方なかった。

東日本大震災から13年。遠く離れた鹿児島で、わたしはまだ中学生だった。

あのとき確か、校内放送で東日本で非常に大きな地震が起こった、という

ニュースを聴いたことは鮮明に覚えている。

日本に帰国した際には、自分の足で東北地方を訪れるべきだと、いまは思う。

 

さて、今回はわが命が脅かされたライプツィヒでのできごとを

紹介したい。今回は、暗く怖いテーマなため、苦手な方はここで画面を

閉じていただきたい。

 

バスの淀んだ空気が好きじゃない

事件は、楽しい飲み会の帰りの道中で起こった。

残酷なもので、悲劇というのはこういうときに起こるものだ。

あの日はもうすでに、日をまたいでいたと思う。

飲み会会場で、おいしいワインをいただき、ついつい飲み過ぎてしまった。

そして、ライプツィヒ中央駅から深夜便のバスに乗った。

このバス車内の暗くドヨ~ンとした雰囲気が好きではない。

今回はやむなくといった感じでバスに乗車した。

車内が空いていたこともあって、つい座ってしまった。

これが、全ての悲劇のはじまりだ。

 

うとうとした結果……

案の定、自分でも想定内なはずだが、座ってしまったら終わりだ。

最寄り駅につくまで、うとうとしたり、はたまた眠ってしまったりしていた

かもしれない。

気が付くと、なにやら怪しい二人組がわたしの向かい合わせの席に

座っていたのだ。たぶん、このときからわたしは彼らの標的の的にされていたのだ。

それからほどなくして、バスはわたしの最寄り駅に到着した。

わたしが降りるタイミングで彼らも一緒に降りた。

わたしは、バスの後方の方に座っていたこともあり、降りるのが最後だった。

なぜか、彼らはわたしが通り過ぎるのを待っているのかのように、

その場に立ち尽くしていた。

わたしが彼らの前を通り過ぎようとしたところで声をかけられた。

「いま何時?」

なぜ、スマホを持っているだろう若い2人組の男が、わたしにこんなことを

訪ねるのだろうと思いつつも、素直に答えてしまった。

それから、なにを言っているのさっぱり分からず、わたしが帰路に着こうと

とぼとぼ歩き始めたところ、、

 

後ろから彼らの大声が飛んでくる。

わたしは怖かったので、振り返ることなく足早に家に向かおうとした

そのとき!!であった、、

後ろから、彼らに追いかけられ、1人に首絞めをくらい身を固められ、

もう1人にナイフを突きつけられた。

そして、「お金を出せ!!!」と脅された。

その時わたしは、意外と冷静で「命さえあれば、お金なんて、、」と

考えを巡らせ、そのとき持っていた有り金20€ほどと硬貨をすべて彼らに渡した。

それから、まだ持っているだろと脅されるが、もちろんこれ以上現金は

持っていなかったし、クレジットカードを渡したら終わりだと思い、

もうこれ以上ないと反抗を続けた。

そうして、彼らもしびれをきらしたのか、わたしを解放し、

警察には言うなよ!と捨てゼリフを吐き去っていった。

 

いままでが平穏な暮らし過ぎた、、

日本では、飲み会が終わって電車で寝てしまった、、といことがあっても

ここまで危険な目にあうことはないのではないだろうか。。

幸い現金以外はなにも要求されず、パスポートや携帯、クレジットカードなど

取られることはなかった。

しかし、事件現場が通学路ということもあり、必ず通らなければならない

ところなのだ。事件が起こった当日よりも、翌日以降そこを通るのが

怖いし、いまだにゾクッとする。

もちろんこんな経験、日本ではしたことがなかったし、ライプツィヒに来て

この数か月、ぜんぜんそんな出来事に出会ったことがなかった。

だからこそ、とても油断をしていたし、勝手にこの地は他の地より

治安はいいと思い込んでいた。

ドイツ人だけではない、たくさんの国からライプツィヒに移り住んでいる

ひとたちがいる。文化や育った環境が違えば、こんなことが起こっても

当然だ、とすごく当たり前のことかもしれないが、実体験とともに

学んだ今回の事件だった。

 

今回こうして淡々と書いている証拠に、身体には一切のキズはつけられなかった。

不幸中の幸いともいうべきか。

どこの国と言えど、こういう可能性は絶対ないとは言えない。

ある意味で、外国で生きていくための、「生きる力」を身に着けたのでは

ないかという、出来事であった。

今日も最後まで読んでくれてありがとう。

そして、みなさまもお気をつけください。

それではまた。

 

 

魅力あふれるライプツィヒは掘り出しものがいっぱい

みなさん、おはこんにちは。

すっかりライプツィヒは春陽気で、散歩をすればこの季節を待ちかねていたように、

草花たちが身体いっぱいに花を咲かせている。

想像以上に早い春の到来に、わたし自身はしどろもどろ状態ではあるが、

ドイツにも春が来たのかとついうれしくなる。

散歩にはもってこいの季節である。

先日の日曜日は、お外で過ごすには大変気持ち良い季節であった。

もはや、太陽がわたしを呼んでいるのではないかと、錯覚を起こすくらいの

晴れ間に、ついつい外に出ずにはいられなかった。

さて今回は、そんなお出かけ日和に散歩に訪れた、わたしのお気に入り

スポットを紹介したい。

 

お気に入りを見つけてしまった

最近知り合った友人きっかけで、これまで足を踏み入れたこのないこちらの

エリアを訪れるようになった。

ライプツィヒの西エリアは、「プラグヴィッツ」(Plagwitz)と呼ばれる

あたりかと思う。

 

カールハイネ運河にかかる橋より

ライプツィヒは、まだまだ知らない魅力が詰まった、まるで土のなかに埋められた

お宝さがしをしているような感じだろうか。

掘り起こしがいのあるとても魅力的な街だと、改めて思った。

 

冷たさと温かみを感じる

以前の記事にも書いたことがあるが、内陸国ドイツであるが故、

川や湖を見るととても興奮してしまう。

しかも、この川沿いに沿った家々の光景は、つい祖国鹿児島と重なってしまう。

わたしの実家も、家の目の前を大きな川が流れており、川とともに

この十数年過ごしてきたといっても、過言ではない。

ただ、なぜだろう。

鹿児島の方が冷たく、ドイツの方が温かい印象を受ける。

この様々なカラーに富んだ、家々がそうさせているのかもしれない。

どこかで、こんな話を聴いたことがある。

日本の家には、「黒」「白」「茶色」「グレー」の4色が多い。

下手したら片手に収まってしまうのではないだろうか。

家々が建っているところに、ひとの手を加えて、わざわざ木や花を植えた

といったイメージだろうか。

一方ドイツは、これも以前に記事にしたかもしれないが、

自然のなかに作られた家というか、自然とともになれる家というか。

なんとも表現しづらいところではあるが、、

要は自然のなかに溶け込んだ、違和感のない建物とでも言えばよいだろうか。

 

やつぱり自然が好き

ちょっと話が飛躍するかもしれないが、わたしは木が好きで日本で林業という

仕事をやっていたのだが、あの当時はあまり自然を好きになれなかったし、

心にゆとりもなかったし、体力的にしんどかった。

あまりにも自分とかけ離れた仕事をしていたと、いま考えると思う。

 

こちらに来て、この空気や身体がドイツに馴染む感じ、身体の底から

きれいな空気が染み渡る感じがとてもたまらなく好きだ。

だからなのか、在独の日本人にアンケートを取ったら、みながランキング1位に

あげるだろう、「冬の晴れ間の少なさ」「雨の多さ」も、自然と受け入れられて

いるような気がする。

 

可能な限りドイツに長く暮らしたいと思うこの頃。

そして、生きている実感を感じるこの頃。

今日も最後まで読んでくれてありがとう。

それでは、また。

 

 

 

 

大切にしていた言葉を忘れ、また思い出す

 

みなさん、おはこんにちは。

最近気持ちのよい日が続いており、そんな日はもちろん散歩にでかけたく

なるもの。

みなさまいかがお過ごしだろうか。

 

わたしは先月から、また新たな語学学校のクラスがはじまり、少人数で、

だれひとりとして、同じ国のひとはおらず、和気あいあいとした感じで、

毎日の学校が最近の楽しみのひとつだ。

世界共通言語は、なぜドイツ語ではなく英語なのだろうとかすかな疑問を

抱きながらも、あやふなな英語と習いたてのドイツ語という

切れるかも怪しい二刀流をなんとか使いながら、同クラスの友だちと

かけがえのない時間を過ごす日々である。

そして、言葉が完ぺきに通じ会えなくても、お互い寄り添いあう心さえあれば

なにも問題はないと思うこの頃だ。

 

さて、今回はわたしが大切にしていたであろうある言葉があるのだが、

それをつい最近まで、熟睡できず朝がツラい日々をこの数か月送り、

日中のひどい眠気と闘っていた。

そのおかげで、すっかりその言葉を忘れていたのだ。

ひとは、気持ちのやじるしが下向きに向いていると、その分いつも以上に

自分の見える景色は限られるということを実感する。

とはいえど、そんな毎日をいい気分で過ごすのはまだまだ難しい。

人生に波があるように、自分の心にも波があって当然だと思って生きている、

このごろである。

 

「きみがきた場所」

さて、すっかりここまでだらだらと書いてしまったが、ストレスフルになっていた

自分に希望をもたらしてくれたのは、言うまでもない喜多川泰先生だった。

喜多川先生は、これまで数多くの作品を世に送り届けているが、

その作品群のなかで、特に気に入っているのが「きみが来た場所」という作品である。

 

 

「秀平」という主人公は、このまま働けば安泰というサラリーマン生活を捨て、

一念発起してこれまでにない新しい形態の塾をはじめる。

それから、あることをきっかけに自分が生まれるずっと前のできごとを

身をもって体感することになるのだが、、、

 

人との出会いは幸せになるためのいちばんの近道

 

「すべては出会いによって実現されていく。自分がなにをするかよりも、

だれと出会うか。そして、その出会いは、自分がいまできることを精一杯

やっていくなかで自然とやってくる。同じ志を持ったもの同士は惹かれあって

出会うことになる。そして、そうやって出会ったもの同士が同じ方向を向くとき、

1+1は2ではなくなる。場合によっては10になることだってある。」

 

こちらは作中にでてくる言葉を引用した。

このことばを大切にしたいと思って、ドイツ旅立ち前にある友人に手紙に添えた。

だが、前述したようにすっかり頭の隅にも置いておけず、抜けていたのだ。

そんなあるとき、これまでストックしていたわたしのアーカイブを見ていると、

その友人に送った手紙の下書きが出てきた。

ハッとさせられたたともに、ちょっと内気気味になっていた自分の心の扉が

少しずつ開いていく瞬間でもあった。

そして、忘れていた自分を情けないとも思った。

人との出会いは、自分にすべてをもたらしてくれるとともに、そのひとのもつ

才能を開花させてくれるのもまた、それにふさわしい人との出会いによって

もたらされる。

 

未来への不安ではなく、"いま"この時を生きる!

つい、未来への不安ばかりに時間を使い、いまを幸せに生きるすべを

知っていたはずなのに、すっかりそれを忘れてしまっている。

いま生きている人間にあるのは、未来でも過去でもない。

“いま”この時間だけだ。だからこそ、自分の内側にある欲望というものを

表にだしていくことはとても大切なことだと思う。

そのきっかけになるのは、言うまでもないたくさんのひととの出会いでは

ないだろうか。

 

わたしもドイツに来て、これまでの投稿でも何度か紹介してきたが、

ドイツでのたくさんのひととの出会いによって、良い刺激を受け続け

それだけで幸せを実感する日々である。

そして、まだ見える形ではないものの、矢印が上向きに向き続けているのでは

ないかと感じる、このごろである。

 

今日も最後まで読んでくれてありがとう。

それではまた。

 

ついつい散歩したくなるドイツ

みなさま、ご無沙汰しております。

そしておはこんにちは。

いかがお過ごしだろうか。

最近のドイツは、暖かく晴れ間が続いている。

そんな日は外をぶらぶらしたくなるもの。

 

ドイツ人は、散歩が好きと聞いていたが、今回はそれを身を持って感じたできごとを

紹介したい。

 

わたしのお気に入りスポット①

ドイツに来て思うこと。街を歩けばとても緑にあふれていて、至る所に公園がある。

わたしのサードプレイスともいうべき場所がこちらだ。

 

わたしの近所のお気に入りスポット

 

気持ちのよいほどなにも遮るものがない。まるで世界がひとつの線でつながっている

ような感覚にさえなる。

友だちの家を訪ねに、日本は北海道を訪れた日のことを思い出す。

わたしが想像するような急傾斜な山はなく、平地が続いている。

このサードプレイスを訪れてわたしは思った。

「だから、ドイツ人は散歩好きなのか!」と。

こんな気持ちの良いところであれば、自然と足が外へ向き、ついつい外に

出たくなるもの。

あるときは、一面真っ白の日もあり、行くたびになにかしらの変化を

感じられるところもおもしろい。

 

寒かった~

 

わたしのお気に入りスポット②

もう一つのスポットがこちら。知人に勧められ訪れたここは、

ライプツィヒ中央駅からほど近い場所にある。

この日は、たしか前日に雪がしんしんと降り積り、翌日はまだこの通り。

 

 

この公園のなかには、「ライプツィヒ動物園」もあり、公園自体はたしか

国立公園になっている。

わたしの近所の公園よりもさらに広大なこちらは、訪れるだけで価値がある

場所だ。この日は、日曜日だったが、こんな雪が積もっている日でも、

やっぱりみんな散歩をしている。

この公園の一角には、天然のスケートリンクがあり、子どもたちが

スケート靴を履いて楽しんでいた。はたまた、傾斜になっているところでは

そりすべりをしていたりと、冬ならではの遊びを楽しんいるようすも

見られた。

 

ここま2つわたしのお気に入りスポットを紹介してきたが、

ドイツに来て思うこと。”やっぱりドイツの空気はわたしにぴったり”ということ。

特に、こういう公園などに行くと、それを実感するものだ。

自分の心の黒ずみを、真っ白に磨き上げてくれる。

もちろん、異国だからこそ、日本だったらしなくてよい苦労を、たくさんしなければ

ならないけれど、それ以上にたくさん得られるものもある。

ということを、とても実感するこの頃だ。

 

今日も最後まで読んでくれてありがとう。

 

ゲヴァントハウスの大盤振る舞いがスゴい!

 

みなさん、おはこんにちは。

久方ぶりで、毎度のことなんとお詫びをしたらよいか。。

 

わたしの住むライプツィヒは、寒さが落ち着き暖かい日が続いている。

年が明けて、早1カ月。「能登半島沖地震」が発生してからも1カ月。

また、別の機会に触れたいが、ドイツに住処を得てから、日本で猛威を振るった

自然災害のようすというものを、はじめて目の当たりにした。

日本では感じ得ない心持ちになった。

胸が苦しく、涙が止まらなかった。

いまでも、復興のようすをYouTubeでみていると、涙が止まらなくなる。

 

さて、前置きはこれくらいにして、今回は昨日訪れた、

「ゲヴァントハウスオーケストラ ファン感謝祭」=

「Tag der offenen Tür des Gewandhausorchesters」の模様をお伝えしたい。

ゲヴァントハウスオーケストラが、みなから愛される理由が分かったような気がした。

 

演奏すべてが無料の1日

こちらが当日のプログラムで、すべて無料で聴けるというなんとも

贅沢な日である。

プログラム

このイベントの前日、たまたまこちらの演奏を聴きに行った。

そしたらなんと、モーツァルト交響曲40番と41番をまた聴けるではないか!

しかも、同じ指揮者で。案の定、昨日は無料で聴けるだけあって、

大変大勢のひとがこぞって聴きに訪れていた。

 

ほんとうにすべてがオープン!

わたしがこのイベントで特に楽しみにしていたのが、10:30からの

ゲヴァントハウスの楽屋ツアーだ。

こちらのツアー、時間で区切られており、ゲヴァントハウスの出入口付近で

チケットをゲットしなければならない。

こちらも、もちろん無料。この内容が凄かった!

やはり、海外ならではの風潮なのだろうか。

もはや隠すことがないのだろうか。

いろんな場所をおよそ1時間近くかけて回った。

写真も撮り放題だった。が、ここに掲載しシェアしたいところだが、

さすがにそれは憚られるため、ご理解いただきたい。

 

楽譜保管庫 ⇒ 芸術監督室(Kapellmeister)⇒ 

ゲヴァントハウスプロデューサー室&本人の仕事の話 ⇒ 

ツアー時の楽器運搬用のコンテナ群 ⇒ 資料保管庫 ⇒ ピアノ庫兼調律室 

 

このような流れでツアーは行われた。

 

楽譜庫では、作曲家ごとに分けられた箱が所せましと陳列されており、

実際手にとって、指揮者用のフルスコアなんかも見られた。

はたまた、Kapellmeisterのお部屋では、こんなところ見せてよいのかという

とても衝撃的だった。ここには、『メンデルスゾーン』をはじめ、

NHK交響楽団の桂冠名誉指揮者でもある、『ヘルベルト・ブロムシュテット』など

名だたるスターたちが鎮座されていたお部屋である。

ゆったりくつろげるソファーなんかもあり、ふつうに座ることもできた。

さらに、現在の芸術監督である『アンドリス・ネルソンス』という指揮者の

もう溢れんばかりのふせんと、びっちりと書かれたマーラー交響曲9番の

スコアまで展示してあった。

 

そして、場所場所では、そこで普段お仕事をされているひとのお話を

直接聴くことができ、参加者との対話を楽しんでいるようすを見られた。

なかなか、普段は表にでてこない、ま~いえばゲヴァントハウスの裏の顔の

ひとたちだ。だからこそ、このイベントはこの運営側にとって、

お客さまの声を直接聴くことができる、とても貴重な機会なのではと思った。

と同時に、わたしたちにとってもこんな素晴らしい機会はない。

普段は決して見ることのないコンサートの裏側。

その裏側を知ることで、いままで以上にコンサート楽しめるだろうし、

よりゲヴァントハウスを好きになれるきっかけになることだろう。

 

こうして、ゲヴァントハウスはファンを増やしてきたのだなと、納得した

一日であった。

わたしが調べた限り、このイベントは1年に1回は開催されているようで、

ライプツィヒ在住者にはぜひとも行っていただきたい。

 

それでは、また!

 

 

 

聖トーマス教会で演奏聴くならココ!

 

みなさん、おはこんにちは。

かれこれ、毎日投稿をすると高らかに宣言したものの、空白期間をつくって

しまい、なんとお詫びしたらよいか言葉も出ない。

いつも、楽しみに待ってくれている読者の方には、頭が上がらない。

時間に余裕ができるまでは、不定期の配信になることをお知らせしたい。

言い訳がましいようだが、いまの生活のメインは、どうしても「言語習得」だ。

そのため、そちらにシフトせざるを得ないため、ご了承いただきたい。

 

さて、ライプツィヒはここ最近寒さが落ち着き、あの寒さはなんだったのだろうと

遠い記憶になりつつあるくらい、暖かい日が続いている。

ドイツで暖かい日と言っても、2ケタいくかいかないのことを指すので、

鹿児島の寒さとはまるでベースが異なる。笑

 

今回は、先日いつもの聖トーマス教会に、ゲヴァントハウス演奏の

BachのWeihnachtsoratorium(クリスマスオラトリオ)を聴きに行ってきた。

ドイツ語でクリスマス=Weihnachtenという。

こちらの教会に足しげく通っているからこそ分かった、聴くエリアによって

まるで聴こえ方が異なるということを、今回は図で示しながら

説明していきたい。

 

今回の演奏は…

プログラム

今回は、オーケストラがゲヴァントハウス管弦楽団、合唱はライプツィヒ

最古の少年合唱団である、「トーマネ合唱団」。

この合唱団がライプツィヒで最古の合唱団であるとは、知らなかった。

今回こちらのホームページを見たことで、知る機会を得た。

詳しくはこちらを見ていただきたい。

 

 

thomanerchor.de

 

先日の大人の合唱団とは異なり、フレッシュな歌声に、パワーがみなぎる

というか、こちらがストップをかけなければ、どこまででも行ってしまいそうな、

すごい勢いを感じた。(あくまでも良い意味で)

今回も素晴らしい演奏だったことには間違いない。

総括すれば、ゲヴァントハウスの一糸乱れぬ演奏と、パッション溢れる歌声の

コトントラスがまさに贅沢な時間であった。

 

聖トーマス教会の座席図

トーマス教会の位置図がこちら。

 

トーマス教会席図

出入口はバッハミュージアム側に2か所、教会正面に1か所ある。

正面入り口から入ると、向かって正面に上の写真のように、

バッハのお墓、イエス・キリストがいる。

歌声を聴くにはいいけれど……

今回は、全席指定でいちばん安い席を購入した。

わたしが座ったエリアは、赤枠の点線部分。そして、このエリアを含め、

黒色で囲ったエリアは、2階の演奏者が演奏している場所の真下になる。

今回座ったエリア

それが問題なのだ。聖トーマス教会で聴く場合、このエリアだけは

可能な限り避けていただきたい。

というのも、このエリアはオーケストラの音が全く飛んでこない。

幸い、歌は言葉がはっきり聴きとれる。

オーケストラの音は、どこか遠くで鳴っているな、という感じで

教会のあの独特な響きも感じられない。

ココで聴くべきエリア!

やはり、聖トーマス教会で聴くなら、こちらの大きく赤の点線枠で囲んだ

エリアで聴くのが、わたしのこれまでの知見で得た結果だ。

この中心のエリアは、教会のならではの響きを堪能でき、合唱付きの演奏でも

オーケストラといい感じにまじ合う。

ぜひ、教会を訪れた際は、こちらのエリアで聴いていただきたい。

 

ベストエリアポジション

今日も最後まで読んでくれてありがとう。

次回の投稿もお楽しみに。

 

日本では第九、一方ドイツでは、、

みなさん、おはこんにちは。

今回は、昨日聖トーマス教会で行われたBachの「クリスマスオラトリオ」を

鑑賞した感想をシェアしたい。

 

この時期といえば、、

日本では、この時期の風物詩といえば、みな口をそろえて言うのでは

ないだろうか。

そう、「第九」と。

わたしは、昨年の年越しはじめて実家以外で贅沢な年末を過ごした。

東京でウクライナ歌劇場による「第九」を堪能し、大みそかには

広上淳一氏指揮「ベートーヴェン交響曲1~9番」全曲一気に聴けるという、

なんとも壮大なコンサートで夜を明かした。

ウクライナ歌劇場のコンサートの、あのストレートに伝わってくる

「平和への思い」はいまだに忘れらない。

終始、涙が止まらなかった。そして、第四楽章を終えたあとの、

あの客席と舞台が一体になり、あたかも、ウクライナへの平和への祈りを

捧げるような雰囲気は、まさに「歓喜の歌」そのものだ。

いまこの記事を書いている目の前に、その当時の光景が思い浮かぶようだ。

 

一方ドイツでは

そんなことを思い出した一方、ドイツではこの時期になると、

日本では第九が演奏されるように、Bachの「Weihnachtsoratorium」

(クリスマスオラトリオ)が演奏されるようだ。

そんなこと今回実際にここに足を運ぶまで、知らなかった。

第九がこの時期に演奏されるのは、日本だけということは知っていたが、、

第九以上に壮大なスケールの作品のため、2日間に分けて行われることが

多いようだ。

 

そもそもオラトリオとは

オラトリオの初演は、なんとライプツィヒで行われたのだとか。

1734~35年にかけて。12月25日~27日、1月1日、2日、6日に渡って全64曲が

演奏されていた。初日の午前は、聖ニコライ教会、午後からは、聖トーマス教会

というように、毎回2つの教会で交互に演奏されていたのだとか。

聖トーマス教会は言うまでもなく、ライプツィヒにあるが、聖ニコライ教会ももちろん

ライプツィヒにある。

オラトリオの内容は、全部で6部構成になっており、前半3部がクリスマス

(イエスの誕生と羊飼いたちのと出会い)、後半の3部は新年(イエス命名

東方の博士たちの来訪)となっている。

まさに、このシーンわたしが幼稚園のころ、このクリスマスの時期に、

みなでお遊戯会てきな感じで劇をやったことを思い出す。

お見事!

前述したように、この作品は大曲なため2日に渡って行われる。

その前半の、1~3部の演奏を昨日聴いた。

 

 

合唱にもうちょっとボリューム、とくに男性の低温がもっと支えてくれる感じが

ほしかったが、もう全体の印象としては感動!の一言だ。

至福な時間を過ごすことができた。この作品には、ソリストの歌手も登場するのだが、

そのソリストがみな素晴らしい!もはや好みの問題かもしれないが、

ソプラノからバスまで心にぐっとくる歌声だったし、この教会の雰囲気と

曲調にあった素晴らしい声の持ち主たちだった。

それに加え、日本ではなかなか聴く機会がないのではないだろうか、

現在主流の楽器たちではなく、当時使われていたような古楽楽器での演奏だった。

(おそらく)この楽器たちの音色が、なんとも安心できること。

ここまでの1週間、頭フル回転で学校に通っていたものだから、とてもよい息抜きを

できたし、あっという間に疲れは飛んでしまったようだ。

 

幸せって、そう実感できることではないし、自分でもよく分からないときも

あるけれど、やはり自分が観聴きして心地よいと感じるものに出会えたときは、

実感できるのかもしれない。

 

今日も最後まで読んでくれてありがとう。