ドイツ移住までの歩き方

人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。

日本がいかに平和かということを実感した日

みなさん、おはこんにちは。

相変わらずライプツィヒは、過ごしやすい日が続いているというか、

もはや日中は暑いくらいだ。

ところで、昨日は日本人として忘れることのできない「3.11」が起こった日だ。

以前の「能登半島沖地震」のことを投稿したときにも書いたが、

こちらに来て、日本を思う気持ちは、日本にいるとき以上にとても近くに

感じるようになった。だからこそ、能登半島地震でも大変心を痛めたし、

心が苦しくて仕方なかった。

東日本大震災から13年。遠く離れた鹿児島で、わたしはまだ中学生だった。

あのとき確か、校内放送で東日本で非常に大きな地震が起こった、という

ニュースを聴いたことは鮮明に覚えている。

日本に帰国した際には、自分の足で東北地方を訪れるべきだと、いまは思う。

 

さて、今回はわが命が脅かされたライプツィヒでのできごとを

紹介したい。今回は、暗く怖いテーマなため、苦手な方はここで画面を

閉じていただきたい。

 

バスの淀んだ空気が好きじゃない

事件は、楽しい飲み会の帰りの道中で起こった。

残酷なもので、悲劇というのはこういうときに起こるものだ。

あの日はもうすでに、日をまたいでいたと思う。

飲み会会場で、おいしいワインをいただき、ついつい飲み過ぎてしまった。

そして、ライプツィヒ中央駅から深夜便のバスに乗った。

このバス車内の暗くドヨ~ンとした雰囲気が好きではない。

今回はやむなくといった感じでバスに乗車した。

車内が空いていたこともあって、つい座ってしまった。

これが、全ての悲劇のはじまりだ。

 

うとうとした結果……

案の定、自分でも想定内なはずだが、座ってしまったら終わりだ。

最寄り駅につくまで、うとうとしたり、はたまた眠ってしまったりしていた

かもしれない。

気が付くと、なにやら怪しい二人組がわたしの向かい合わせの席に

座っていたのだ。たぶん、このときからわたしは彼らの標的の的にされていたのだ。

それからほどなくして、バスはわたしの最寄り駅に到着した。

わたしが降りるタイミングで彼らも一緒に降りた。

わたしは、バスの後方の方に座っていたこともあり、降りるのが最後だった。

なぜか、彼らはわたしが通り過ぎるのを待っているのかのように、

その場に立ち尽くしていた。

わたしが彼らの前を通り過ぎようとしたところで声をかけられた。

「いま何時?」

なぜ、スマホを持っているだろう若い2人組の男が、わたしにこんなことを

訪ねるのだろうと思いつつも、素直に答えてしまった。

それから、なにを言っているのさっぱり分からず、わたしが帰路に着こうと

とぼとぼ歩き始めたところ、、

 

後ろから彼らの大声が飛んでくる。

わたしは怖かったので、振り返ることなく足早に家に向かおうとした

そのとき!!であった、、

後ろから、彼らに追いかけられ、1人に首絞めをくらい身を固められ、

もう1人にナイフを突きつけられた。

そして、「お金を出せ!!!」と脅された。

その時わたしは、意外と冷静で「命さえあれば、お金なんて、、」と

考えを巡らせ、そのとき持っていた有り金20€ほどと硬貨をすべて彼らに渡した。

それから、まだ持っているだろと脅されるが、もちろんこれ以上現金は

持っていなかったし、クレジットカードを渡したら終わりだと思い、

もうこれ以上ないと反抗を続けた。

そうして、彼らもしびれをきらしたのか、わたしを解放し、

警察には言うなよ!と捨てゼリフを吐き去っていった。

 

いままでが平穏な暮らし過ぎた、、

日本では、飲み会が終わって電車で寝てしまった、、といことがあっても

ここまで危険な目にあうことはないのではないだろうか。。

幸い現金以外はなにも要求されず、パスポートや携帯、クレジットカードなど

取られることはなかった。

しかし、事件現場が通学路ということもあり、必ず通らなければならない

ところなのだ。事件が起こった当日よりも、翌日以降そこを通るのが

怖いし、いまだにゾクッとする。

もちろんこんな経験、日本ではしたことがなかったし、ライプツィヒに来て

この数か月、ぜんぜんそんな出来事に出会ったことがなかった。

だからこそ、とても油断をしていたし、勝手にこの地は他の地より

治安はいいと思い込んでいた。

ドイツ人だけではない、たくさんの国からライプツィヒに移り住んでいる

ひとたちがいる。文化や育った環境が違えば、こんなことが起こっても

当然だ、とすごく当たり前のことかもしれないが、実体験とともに

学んだ今回の事件だった。

 

今回こうして淡々と書いている証拠に、身体には一切のキズはつけられなかった。

不幸中の幸いともいうべきか。

どこの国と言えど、こういう可能性は絶対ないとは言えない。

ある意味で、外国で生きていくための、「生きる力」を身に着けたのでは

ないかという、出来事であった。

今日も最後まで読んでくれてありがとう。

そして、みなさまもお気をつけください。

それではまた。