みなさん、おはこんにちは。
まだまだ暑い日々が続きそうですね。いかがお過ごしですか。
たしか、けっこう前だったか、日本のジェンダーギャップ指数が発表がされおり、
度肝を抜かれた。
日本は、上からより下から数えたほうが早い、125位だった。
日本のどこを切り取っても、まだまだ男性が多いような気がする。
そして、日本の政界を切り取れば、女性をあからさまにさげすむような発言を
テレビの前で堂々と発言する姿が、散見される。
その度に、日本のイメージダウンにつながり、こちらが恥ずかしい思いになる。
そんな、男性社会の厚き壁をたたき続け、割れ目を入れていった、
「シモーヌ・ヴェイユ」という女性政治家をご存知だろうか。
わたしは、昨日いつもの映画館に彼女のドキュメンタリー作品を観に訪れた。
あらすじは、上記サイトから読んでいただきたい。
この作品を通して、ある聖書の言葉を思い出した。
『求めなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。
そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、
門をたたく者には開かれる。』(マタイ7 7-8)
彼女の人生は、まさにこの言葉そのものだろう。
当時のフランス政界では、男性ばかりで女性が入るなんてもっての他。
彼女はその門をたたき続け、自らの手で、司法省⇒厚生大臣⇒欧州議会議長への
道を切り開いて行く。
あの、度胸と根性と勇気、、、にだれが心を揺さぶられずにはいられようか。
しかし、それらの言葉の裏には、不安がつきものだと思う。
実際彼女も、作中では就寝中に、不安に苛まれるようなシーンが何度も
登場する。それは、まだ10代のころに襲ってきた、ホロコーストの影響も
大きいように思う。
ただ、その時代を生き抜いたシモーヌだからこそ、ここまで自分の突き進むべく
道をまっすぐ進んでいったのかもしれない。
日本の政治家に、ここまで国民にそっと手を伸ばしてくれるひとはいるだろうか。
自らの意志で、「わたしはこうしたい!」と言い続け、有言実行に移す
政治家がどれだけいようか。
シモーヌは、悲劇などにより妊娠してしまった女性のために、中絶という選択肢を
合法的に認めたり、劣悪な環境下で檻に入れられたりした囚人たちの環境を
変えていったりと、彼女の政治は明らかに見える形で、変わっていった。
これまで当たり前に受け入れられていたことを、根底から覆す。
だからこそ、一歩街を出れば彼女を知らない国民はおらず、みながこぞって
感謝の念を口々に伝える。彼女に対する国民の信頼は増すばかりだ。
ふと思ったのだが、海外の政治家など国のトップに立つような人々は愛に溢れ、
国民との距離がとても近いように感じる。(あくまでも個人的なイメージだが)
フランスのシモーヌ・ヴェイユももちろんだが、今年5月開催のイギリスは
チャールズ国王の戴冠式は、イギリス中が熱狂的な盛り上がりをみせ、
王室フィーバーといった感じで、一種の国民のお祭りのように感じた。
はたまた、先日ドイツ大使館の公式Ⅹ(旧Twitter)に投稿された、
「連邦政府のオープンデー」。
先週末、連邦政府のオープンデーが開催され、連邦首相府、各省庁、連邦議会などが一般に開放されました。2日間で10万人以上が来場し、連邦政府や各省庁の仕事に大きな関心が集まりました。ショルツ首相を始め多くの閣僚らも参加し、市民らの質問に答えたり意見交換を行ったりと直接交流を行いました。 pic.twitter.com/Ko9Kd0n6lC
— ドイツ大使館🇩🇪 (@GermanyinJapan) 2023年8月23日
こんな光景日本で見られるだろうか。
これは、あくまでも一例に過ぎないが、ここからも十分
自国のトップたちと国民との距離は近く、ひいては生活の一部となっているのでは
ないだろうか。
そして、本来政治というものは、国民がいてこそ成り立つのものであり、
自分よがりな活動をする場ではないはずだ。
いまの日本の政治を見ていると、シモーヌ・ヴェイユのように
「こういう日本にしたい!」「ここを変えたい!」というような
人間が本来もっているだろう、”欲”がないのかと思うことがある。
だからこそ、同じ人間なはずなのに人間らしくない。
ある種の、機械化された人間のようにも思えてくる。
これからの、日本はどこへ向かっていくのか。
いま多くの国民が将来への不安を抱える時代になっている。
いまこそ、彼女のような ”いまの当たり前” をつくってきた、歴史に名をはせる
人物から学ぶべきときなのではないだろうか。
わたしができることは、こうして自身の考えを世に発信すること。
これからも、細々とながーく続けていきたい。
それでは、また。いつもありがとう。
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