ドイツ移住までの歩き方

人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。

海外に出るとは自身のすべてを受け入れるということ

 

みなさん、おはこんにちは。

寒さが日に日に増すこの頃、いかがお過ごしだろうか。

わたしの住むライプツィヒでは、クリスマスマーケットがすぐそこという

訪れを感じないわけにはいかない。

クリスマスマーケット前のおもちゃの兵隊(準備中)

わたしは現在、ドイツに来てまもなく2週間が経とうしているが、

日々良くも悪くも大小さまざまな変化や思うことがあった。

それらのことをここにしっかり記しておきたい。

やはり、環境が変わると必然的に心や身体の変化はあるもの。

特に、わたしの場合は海外経験がそんな多いほうではないため、

圧倒的にこれまで日本で過ごしてきた時間の方が長く、その分日本への

思い入れの方が強い。

その分、ドイツに着いた先週は、「日本レス」に早くも陥っていた。

幸い、友人宅にお邪魔していたため、だいぶ軽減はされたものの、

やはり一人になる時間があると、最後を見送りにきた家族との写真をながめては

あのときの別れのシーンとともに、涙があふれてくる。

 

別れほど、ツラいものはないといつも思う。

この最後のお見送りというものは、なんだかいつもちょっと億劫。

それは、自分の心のなかで、「やっぱりいまの場所に留まりたい」という心と

「自分で覚悟をもって決めたことだから、前を向いて行こう」という心とが

綱引きを繰り広げているからだ。

結局いつも、その場に留まりたいという気持ちはあちら側に引っ張られ、

負けてしまうのだが、、

こちらに到着してからも、その綱引きは突然と姿を現す。

この闘いは、けっこう長いこと続くのだなと思う。

 

ひとは、そういう寂しさや悲しさ、苦しみをたくさん経験することで、

自然と心に鏡のような磨きがかかるのではないかと思う。そんな経験を

いかにたくさんしたかで、そのひとの人間性というものは変わってくるような

気がする。

そして、経験すると同時に、その寂しさや悲しさ、苦しみという感情を

ありのままに受け入れることもまた、大切だと思う。

「いま自分は寂しいんだ」「あ、いま悲しいんだな」と。

当たり前のことを言っているように感じるかもしれないけれど、

これがけっこうこの社会で生きていくには、大切なことのような気がする。

自分自身が感じた心の変化を、そのまま感じること。

それだけで、とても心が楽になるような気がする。

特にドイツにきてそれを実感するようになった。

日本語が通じないこの国で生きていくためには、自分の弱みなどと向き合わざるを

得ない。そういうときにも、やはり「わたしはこういうことには弱いんだ」と

そのままの自分を受け入れること。

「向き合わない=拒否し続けること」

それはそれでとてもツラくなるし、心は疲弊する一方。

何事も受け入れる心持ちでいたほうが、あまりパニックにならずに冷静で

いられるし、心へのダメージも少なくてすむ。

「そういうこともあるよね~」という心持ちで、日々過ごして生きていきたい

ものである。

 

今日も最後まで読んでくれてありがとう。